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No19 2005年2月2日発行

はじめの一歩 ピア代表 三浦 孝司

彦島に事務所を移転し、はやいもので、半年が過ぎました。ディサービスの名称を「彦島みんなの家」と変え、決まったカリキュラムをつくらず、利用者の自主性を尊重し、一人一人のペースで過ごしていただいており、利用者の皆様には好評を頂いています。

また、地域密着型の施設としても、これからもっと展開をしていきたいと思っています。その一環として、前号の『なかま通信』でも、お知らせをしましたが、週に一度、近辺の清掃活動に取り組んでいます。一緒に清掃活動に取り組んでみたいという方は、お気軽に声を掛けてみてください。

在宅介護支援事業所やディサービスなどの施設が増えてきて、高齢者や障害者の生活の幅は以前より広がってきたとは思います。しかし、これで、充分といえるでしょうか?まだまだ、当事者は、自分の想いに蓋をして生活をしている人は多いのではないかと思います。

高齢者でも障害者でも、地域で自分らしく生活をしたいと思っている人は沢山いると思います。しかし、親が亡くなった時どうなるだろう?とか、食事は?お風呂は?など、様々な問題を抱えて生活をしていると思います。個人的な事を言わせてもらえれば、私も長い間、親と同居をしていて、いつも心のどこかに、親亡き後、どうなるだろうか?という不安を抱えながら、見てみぬ振りをし、障害のある自分には一生自立などは、無理な事と決めつけていました。

しかし、ある最重度のピアの会員が、親元を離れて生活をする姿を目の当たりにして、私も親元を離れる決心ができました。もちろん、不安もありましたが、親が元気なうちだからこそ、チャレンジ出来る事だと思います。実際、失敗をしても、とりあえず親元に帰ればいいという軽い気持ちのままアパートを借り、はじめは、家事支援の在宅サービスを受けながら生活をスタートしましたが、最近では、週に1〜2回の入浴介助(身体介護)も受けるようになり、一人暮らしも丁度、2年が過ぎました。当初は猛反対をしていた両親も、今では遠くから見守ってくれています。

衣食住の問題であったり、移動の問題であったり、一人ひとり、心配な部分は違うと思います。権利を得るためには、自分たちで動かなければ、自分たちの必要とする物を得る事はできません。だからこそ、ピアでは、さまざまな問題を、みんなで考え、解決をし、より暮らしやすい環境を作るための担い手になって行きたいと思います。みなさん、怖がらずに、自分の想いを実現しませんか?

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下関市の交通状況 ピア理事 亀田 雅広

私の移動(通院)について、私自身の体験から下関市の交通状況の話をさせてもらいたいと思います。

私は、移動介護・身体介護でヘルパーさんを利用しています。移送サービスが無くなった今、1年余りが経とうとしていますが、皆さんはどんな交通(移動)手段を取っていますか?私は主に、電動車椅子を使って移動しています。ヘルパーの人と、駅周辺、又は中央病院等で現地集合しています。自宅は彦島で、電動車椅子で駅まで約1時間、中央病院まで1時間30分も掛けて行っています。それは苦とは感じないのですが、その中で不便だなと感じているのが、歩道や下関市の交通状況です。

サンデン交通には、ノンステップ・バスがあります。私も、電動車椅子で出掛けたときの行き帰りに、何度も見かけます。以前にバスの案内所に運行時間について電話で聞いた事があります。すると、「どこを走るかは、決まってはいない」という回答でした。その時間が決まっているのは、駅から海響館と、その反対の時間帯だけです。そうなると、無雑作に走っていると言う事と同じで、これでは予定も立てられません。

以前に、予定の時間帯のノンステップ・バスに帰りに1人で電動車椅子に乗ったまま乗車しようと思って前もって言うと、運転手さんから「一般の方も大勢居るので介助者も一緒の方が良い」というような言い方をされました。(前もって伝える必要もないのでしょうが・・・・。)

私は、ヘルパーの人に体や腕を持ってもらうと何とか普通のバスの乗り降りが出来ます。この前もそうでした。普通のバスに乗ろうと思い、ヘルパーさんと待っていると、たまたま、そのパスがノンステップ・バスでしたが、前の方を見るとスロープが積んでありました。私の思いですが、いちいち出し入れが面倒だからスロープをたたんであったのでは無いかと思います。これでは、何の為にノンステップ・バスを走らせているのか分かりません。

その他、電動車椅子で月に2回程JRで、川棚温泉駅に用事があってヘルパーさんと行きますが、下関駅は何とかエスカレーターで上ってスロープで列車に乗れるのですが、しかし、山陰本線は、まだまだだと思うのが、川棚温泉駅には人はいますが、列車の乗り降りの際にスロープがありません。

そこで、どうするかというと、下関駅から乗って行く時にスロープを一緒に乗せて行って川棚温泉駅でスロープをヘルパーさんにセッティングしてもらい降りて、その駅に帰るまで置かしてもらい、又帰る時に一緒にスロープを積んで帰るという方法をとっています。

雨の時は、ヘルパーさんに家まで来てもらい近くのバス停から駅まで行き、駅から川棚温泉駅に行き、タクシーでその目的地まで行くという方法をとっていますが、もうすぐ合併するのですが1市4町は、タクシーチケットが使えるのに、いつも川棚温泉タクシーの運転手さんが不思議そうな顔をしながら、本部に問い合わせ聞く様な状態です。いかに知られて無いかが良く分かります。

その他、電動車椅子で走行する度に思います。危険な所がたくさんあります。バスも、もっとノンステップの台数を増やして欲しいし、彦島等に走らせて時間帯等も、もっと明確にして欲しいと思います。

その為にも、先ず私達障害者自身がどんどんと出て行く方法を自分で計画を立て考え、そして市の交通機関を利用して行く事(自主性・自己決定)が、一番大切で重要な事では無いでしょうか?そして利用した結果、不便な所や改善して欲しい所が、出てくると思います。それらを市や駅やサンデン交通に話しを聞き、お願いに行く事が大事では無いでしょうか?

皆さんは、どう思われるでしょうか。宜しければご意見をお聞かせ下さい。

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★お知らせ★

故 磯岡ミスヨ様からの御寄附によりさをり織り機を購入しました。

16年11月グリ−ンファーム様からの紹介で、故 磯岡ミスヨ様からご寄付により、さをり織り機を1台購入しました。デイサービス等で、有効に利用し活用させて頂きます。

イーパーツ様からの寄贈によりピアにまた一台パソコンがっ!

平成16年10月、特定非営利活動法人イーパーツ様から、リユース(再使用)PCの寄贈を受けました。このPCはデイサービスにパソコン教室に事務作業にと大車輪で活躍しています。誠に有り難うございました。

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「ピアと私Vol19」 吉瀬 潤子

私が"看護師になろう!"と決めたのは進路に迷っていた高3の夏、幼い頃から大変かわいがって頂いたおばさんが面会謝絶になった時でした。誰とも面会出来ないおばさんに、何か私で出来ることがあればしてあげたいと強く思いました。

高1の夏にも大好きな叔母が最後まで「腰が痛い」と言って亡くなった事を思い出し、患者さんの一番近くにいられるのは看護師しかいないと思いました。痛いところは解したり日常生活で不自由な事があればお手伝いしたり、患者さんやその家族の方に入院中少しでも頼りになるような看護師を目指したいと思いました。

私が3年間勤務した大学病院は特殊で重症な方が多く、検査、手術や処置などに追われる毎日でした(これも貴重な経験でしたが)。結婚を機に下関に住むようになり5年前に出産し、看護師の現場を離れて6年間、昨年の7月にピアに出会いました。当初"こんな私に何が出来るだろう?"と不安でいっぱいでしたが、ピアのアットホームな環境と『人と人とのつながりを大切にし、相手の立場になって物事を考える』という理念に、看護師を目指した初心を思い出し、未熟者ではありますがお世話になる事になりました。

今はお話をさせて頂いたり、お買物や入浴の時間を私自身とても楽しませて頂いています。まだまだ勉強不足でご迷惑をおかけするかもしれませんが、利用者の皆様方に少しでも快適で楽しい時間を過ごして頂ける様、努力して行きたいと思います。

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