現在の公的サービスは、まだまだ使いにくさがあります。今はこちらが各サービス提供者の都合や時間に合わせている・・という感じで、例えば夜、ヘルパーが来る時間に合わせて家に帰らねばならないので、その時間に合わせて用事を切り上げなくてはいけません。あと緊急の事態が起こった時や夜中のケア体制も整備されてほしいと思っています。それらの利用者のニーズに合った公的介護サービス体制の確立が、障害者が地域で安心して暮らせる為に、最も必要な条件だと思います。
今、公的介護体制の確立と申しましたが、日本の公的ケアが量的にも質的にも制約があるため、その不足分を補う為介助ボランティアを導入する障害者の話しもよく耳にします。しかしボランティアに依存した自立は、彼らの誠意のみが頼りになり、必要な時間に人が見つからなかったり・約束した時間に来てくれるかどうか不安で、綱渡りのように危険に満ちあふれた生活に見えます。
またボランティアを数多く集めるには、彼らを惹きつける事が出来る人間的魅力が必要となります。そして優れたコミュニケーション能力も身に付けていなければならず、誰もが容易に接近できる生活ではないような気がします。自立したいと意欲があっても誰もが簡単に踏み込めるライフスタイルではない・・・。そう実感させられます。障害者の全員が星野富弘さんや、乙武君では無いのです。特別の魅力も才能も無いフツーの障害者にも介助者は必要なのです。逆に人を惹きつけることが苦手で・人を多く集めるのが困難な人の方がほとんどです。やはり、そう考えると、安いサービス料で誰にでも利用でき、そして安定的に介助者を提供できる「公的介護サービス」という、法律に基づいた介助体制の整備が必要なのです。
そして次に、障害者が地域の中で暮らして行くには「自立」する必要があります。自立という事についてですが、例えば「自立生活」イコール「1人暮らし」と考える向きもありますが、そうではないような気がします。親が住む隣にアパートを借り、すべての介助が親がかりで、それで自立しているという人がいたら、その自立生活は違った方向に向かっているのではないでしょうか。自立の一番の基本となるのは「自己決定権」、自分は何をしたいかということです。
私自身、15歳でケガをし、それ以来家族中心の限られた人間関係の中で生きてきた為、社会体験の機会をせばめ、親への依存体質が身につき、自分以外の人間が自分の為に決定を下すことに慣れてしまいました。
しかし私の場合、生活レベルというより生きて行くための生存レベルのニーズから、人に依存していかなければならない人間です。ですから自分のしたいことを自分で決めなければ、私を取り巻く環境すべてが人のセットされた上に乗り、自分の思う通りになりません、そしてストレスばっかり溜まります。だからこそ実は障害が重度であればあるほど、この「自己決定」の必要が大きかったのです。
不幸なことに、この決定を下すという機能は、神経や筋肉のように使わなければ萎縮すると言われています。精神分析の本に、「決定を下すと言うことは、たんなる自我機能ではなく、逆に自我を作りだす機能であって、またひとたび創り出した自我をたえず発達させる機能でもある」とありました(ブルーノ・べテルハイム)。この決断する機能を「自立」と置き換えれば、自立の機能は使わなければ萎縮するが、使えば使うほど自立の能力は発達する。そう考えてもいいのかもしれません。自己決定する事が少なく、慣れてない者ほど、決定を下す能力を発達させることが、自立というより障害を持つ人間として生きていく上で必要なのだと考えています。
まだまだ、こういう歩き出したばかりの私達ですが、今日のように他団体の皆様との交流も、これから大切にして行きたいと思っています。閉鎖的にならずに、他のサークルと交流し情報を交換する事により、その情報の共有化を図る事も、これからの重要な事だと考えています。
三番目に、これは何も障害者に限ったことではありませんが、毎日を張りのある生活とする上で、何か目的意識のようなものを持てたら良いと思います。単に「自由になりたい」だけなら、介助者を入れて一人暮らしを始めたら、それで達成されるかもしれません。しかし、あとはテレビを見て、食事をして、寝てという繰り返しの生活では、以前の自分の生活と変化なく意味がありません。
自分に何が出来るのか?今思えば、以前の私は、10代の頃にケガをし、以来ずっと家に閉じこもり、自分のことしか考えなくなり、ほかの人のことを考えられなくなっていました。
次回へ続く
去る 9月21日、市勤労福祉会館に於いて、福祉・医療・介護を考える会(代表 古野竹則氏)主催により、市の高齢障害福祉課長と課長補佐を招いて障害者支援費制度説明会が行われました。
まだ、厚生労働省より支援費に関する要綱案の最終決定が下されていないため、具体的な説明は無かったのですが、決まっている範囲で話を聞くことが出来ました。障害者が受けられる月あたりのサービス量の決定に関しては、身体の状況、家族の介護状況等に応じて決められるそうですが、恐らく今現在のサービス利用時間を移行する形になりそうです。少なくとも、措置に比べ支援費制度は厳しいものになると思われます。ヘルパー時間数をアップすることも、今までの措置より難しくなることが考えられます。特に重度障害者で現在ヘルパー派遣時間数の少ない方は、今のうちに利用時間数を増やしておく必要があります。
また、利用者負担金に関しても、扶養に入っている場合は利用者の所得と扶養義務者の所得を合算した金額によって決まる様です。
支援費制度は見えない部分が非常に多く不安に感じている方々も多いのではないかと思われますが、大事なのはサービスを受身でとらえるのではなく、自分がどのような生活を送りたいかというビジョンをしっかりと持つ事です。その中で自分にはいつ、何時間、どのような介助が必要か?ということを利用者自身が正しく把握し、生活を組み立てて行かなければならないと思います。
高齢・障害福祉課主催の、障害を持つ仲間同士の集団お見合い旅行に、9月7日土曜日から8日日曜日の一泊二日をかけて参加してきました。
今まで私の心の中では、重度の障害を持つ私なんかを相手にしてくれる人なんていないと、ずっと思いつづけていたのです。相手も私と同じような障害を持っていれば、なおさら結婚なんて無理じゃないかということが、頭の中にありました。もし、いい人がいたとしても、遊び感覚でその日限りで終わってしまうだろうと思っていました。でも、私はなんと・なんと、すっごく良い男性にめぐり合っちゃたんです。その男性と、私の家はとても離れているのですが、彼が私に言うのです。「幸恵さんの両親に合わせてくれ。」というこの一言に、私は真剣にお付き合いできる男性だと思いました。
今回のことで、障害を持っていると、恋愛・結婚なんて絶対無理という私の考えは間違いだと思いました。障害があっても、お互いに正直な気持ちを相手に伝えれば、実るものだってね!だから、障害者と言うことで、色々なことあきらめている皆さんも、何事にも挑戦していけばキット綺麗な花が咲くと思いますよ!おのろけ体験の発表となりましたが御免なさい。以上で、報告を終わります。\(^o^)
本紙上でもお知らせしてきました Nanakaja Live は、企画立案より約1年多くの方々に支えられ、大盛況のうちに終演致しました。
『やさしく心地よい音楽を共に感じることで、縁あって出会うことができたこの瞬間の喜び、命の重さ、尊さを障害のあるものもないものも共にわかりあえれば』とスタートしたこの企画、これまで啓発活動を主として取り組んできたピアをはじめ、福祉業界に於いても、とても新鮮なものでした。「あたたかい音」を心から感じる中で、誰もが純粋に音楽を楽しみ、そして「人の価値」や「命の重さ・尊さ」は、姿形、或いは肩書き、年齢などでは決して決まらないということを改めて実感し、見つめなおす事が出来たのではないでしょうか。
私自身が抱いていた固定観念として「私達障害のあるものにはこのようなライヴ等にはあまり縁がない」と考えていました。準備するにあたり会場の選択、構造により難しい一面もあり、私達も頭を悩ませ多くの案を練りました。ですがその固定観念を壊しイメージを変えること、変えるべく行動することこそが、『障害の有無を問わず住み慣れた地域での暮らしを目指す』ピアにとって大きく意味のあることだったのだと思います。
Nanakaja が奏でる素晴らしいサウンド・歌声、チケット販売から当日の準備片付けまでお手伝い頂いた方、会場・機材をお貸し頂いた方、企画、運営をご指導頂いた方、会場に足をお運び頂いたお客様、私達はこの公演を企画運営するにあたり、準備段階から終演まで実に多くの方々に出会い、支えられました。全ての方々との出会いや繋がりを大切にし、これからもこの様な訴えかけを続け、個人個人が尊重し合い、お互いが支え合える社会が実現できるよう努めてまいりたいと思います。
Nanakaja Live 公演は本当に多くの方々の支えがあったからこそ成功出来たと感じています。この公演を、最後まで支え、ご尽力賜りましたすべての皆様に、心より御礼申し上げます。
友達に誘われて下関のライブに行きました。初めて Nanakaja の歌を聴いたのですが、すばらしかったです。メンバーの笑顔、一生懸命さがものすごく伝わってきました。何だかいろいろなことを考えさせられたライブでした。今の自分がここにいることは、ありがたいことなんだなあなど、とても幸せな気持ちになりました。ことばではなかなか言い尽くせないのですが…。ありがとうございました。
ただいまです。なんて素敵な時間だったんだろう。「あの瞬間」にいた、携わった全ての人達に感謝です。下関の空、青かった。絶対、絶対忘れない。忘れられないなあ。
凄いライブやった。音楽の神様が降りてきた。下関に来られなかった人が見るであろうライブビデオ、僕なんかの撮影の腕ではとてもあの凄さは伝わるまいなあと思うと申し訳ないです。でも!でも!それでも見るべきです。「姿も形もない、ひらがなの『かみさま』」が、うっすらと写ってるはずやから・・・
友達に誘われて下関のライブに行きました。初めてNanakajaの歌を聴いたのですが、すばらしかったです。メンバーの笑顔一生懸命さがものすごく伝わってきました。何だかいろいろなことを考えさせられたライブでした。今の自分がここにいることは、ありがたいことなんだなあなど、とても幸せな気持ちになりました。
2002年9月14日、Nanakaja 下関ライブに参加してくださった、スタッフのみなさま、お客様、メンバーのみんな感動をありがとう。<(_ _)>私の今までの音楽人生の中で、こんなに楽しくて、感動したライブはありませんでした。
今振り返ってみて思う事は「あの時間、あの場所に居れた事の喜び」です。年齢、性別、出身地、障害の有る無し、そんな事が本当に些細な事(全て忘れていましたが)で、そこに存在していたのは「人」ただそれだけでした。
「心のバリアフリー」この言葉を使う事も、声高に訴えかける事もせず、全ての人々が自然に感じ、実現できた瞬間でした。一人の人間としてその瞬間に立ち会えた事、バンドマンとしてそこで演奏出来た事を誇りに思います。あの時間を作り、共有された全ての人々に心から感謝いたします。
8月からピアの仲間として働く事になりました。改めて、よろしくお願い致します。
この度のイベントは、チケットが思うように売れずに、お客さんが来てくれるのだろうか?ほんとに大丈夫なのだろうか?と、とても不安でした。でも、あの日会場に集まったすべての人達が同じ音を聞き、同じ時間を共に過ごすことによって、皆がひとつになれたような気がします。
ライブに来ていただいたお客様から是非、ピアの会員になりたいというお電話を頂き、大変感激しました。一人一人の力は小さくても、皆が力を合わせて諦めずに続けることが、大きな力になるんだなと思いました。いろいろな出会いがありますが、すべての出会いに感謝して行きたいと思います。。